2018年1月1日月曜日

2017年「人間は恋と革命のために生きるのです」

2017年
鳥取に来て2年目。あっという間の怒涛の1年でした。
おそらく今までの人生でも類を見ない勢いと規模で動いていて、しかも個人活動で、皆さんに申し訳なく思っています。

学校の授業と両立させながらなので、アカデミックなダンスの歴史的な授業とそれに反していく実践の部分とを見ながら、私は今までコンテンポラリーダンスというジャンルを踊っていると思っていたけれど、コンテンポラリーとアヴァンギャルドと呼ばれる前衛芸術は異なるということに気がつきました。つまり、現代における美のようなものを構築しようとしている人と、それを壊そうとする人です。壊そうとして壊す場合と壊れてしまう場合があります。何れにしても手編みで編み上げていくとか布を織るとかレンガを積むとかそういう地道な活動をして構築していくタイプとそれを図らずも壊す人両タイプがいます。私はもしかしたらコンテンポラリーダンサーではないんじゃないかというものすごく根本的なことに気がついたのです。そもそも振付家としても名乗っていないし。
インドで出会った神様は破壊の神様でした。全てを破壊し、そしてそこからしか新しいものは生まれないという。踊りの神様と呼ばれるものは皆ある種の酩酊や狂乱や熱狂の中で全てを破壊しながら踊る存在です。ダンスとは本来そのような熱を持っているものだったのではないでしょうか。
私はここ数年コンセプトを立てて、リサーチをして作品作りをする試みを続けていますが、その一方で、ダンスの根源についても考え続けています。コミュニティダンスも、教育でのダンスも楽しそうだけれど、本当に私の面白いとは違うものな感じがしてしまう。



ダンスが楽しかった時っていつだっただろうと考えていました。単純に楽しいと思っていたのはいつまでだろう?それは即興で踊っていた時代で、また音楽の子達と実験を繰り返していた頃でした。集客とか場所とか気にしないで、ただ楽しいから踊ろう、何かやろう、そう思っている時代があり、その頃を思い出して夏至祭を作りました。
さらにいうと本当に面白いことであればプロフェッションは崩れるのではないか、それを崩したところで全てが混ざった状態でこそ本当のお祭りが生まれる、そう思って始めました。ある意味革命です。そこまで行ってはじめて私は楽しい可能性を感じました。
「カーニバルには傍観者がいてはだめなんです」といった元の言葉はバフチンのもの。みる・みられるの関係性が生じることでヒエラルキーが生まれ、職業ダンサーが成立して行ったとともに娼婦化もはじまっていく。今でもセクシュアルな関係性を求められてはいなくとも似たような目線はあり(実際他の舞台芸術と比べコンテンポラリーダンスの観客は男性が多いです。なお、バレエや歌舞伎、能などは女性が増えます)、そこから抜け出すためには神や自然の声を聞く力を持つか、中性化か、皆が踊るかではないかと。夏至祭は皆で踊る方向性を示しながら、鳥取の皆さんにコンテンポラリーダンスと呼ばれる多様な身体を紹介することを目指しました。
死者の書は自らを消していかに憑依させるかの話で、前者2項をテーマとします。IchIで男女デュエットとして作っているこの自分の中のもう一人の自分と踊っている問題(静のプログラムやMobius チラシでも言及)ですが、自分一人でやってみる元々のプランに戻し、それを現出化させようと考えています。その作業は楽しいものではなく、暗闇に片足突っ込んでる感じです。しかも一人で。
来年、再来年は私の人生的にも結構節目に来たところで、いろんな意味で全ての円が閉じていくのが連続して起きていきます。閉じるのか壊すのか。永久に続くことはないけれど、この気持ちの着地点はどこにあるのだろうかと考えます。全ての人のさいわいはあり得ないかもしれないが、少なくとも自分は納得できるようベストを尽くしたいです。

楽しくはないけれど、作るべき時が来た時に作るべき作品を作る。今、そういうところに来ています。

今後の予定2018年
2月ダンスハ體育ナリ2 レクチャーパフォーマンス
→ダンスではないですが体操のレクチャーパフォーマンスになりそうです。タイトル迷い中です。そもそもまだ情報公開できないあたりからしてかなりドキドキで、とにかく今は勝手に準備中。
3月五感教室@ことめや 昭和初期の体操大流行について
6月鳥取夏至祭
9月死者の書
10月ダンスハ體育ナリ(オリジナルの方)再演
11月ごろAmanogawaプロジェクト鳥取

2019年
鳥取で幻想銀河鉄道、銀河祭プロデュースします。


中学時代の友人は死ぬ時にまあ悪くなかったなって思えたら、いいんじゃないかといっていました。(そのあと行方不明になってるからちょっとおもく残っている)どんなに悲しいことも、悪いことも、ちゃんと回り回って昇華する時が来る。いつか、きっと。




ちなみに表題は太宰治「斜陽」より。恋はともかく、革命は勝手にがんがん進行中。




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