2017年10月29日日曜日

鳥取夏至祭2018実行委員募集

鳥取夏至祭の実行委員を募集します。
お金にはなりません。
とりあえず、街の中を縦横無尽に探索しながらダンスと音楽で遊びます。
来年夏至祭で何をしようか作戦会議を開きますので、まずはお越しください。

鳥取大学学生向け第1回は11月10日(金)お昼休み(12時15分くらいから)@アートスペース(地域学部棟芸術文化センター内)

一般のかた向けワークショップは12月9日10時半からわらべ館いべんとほーるです。




来年のことだけれど、ちょっとずつ、ゆるゆる月1くらいで進めはじめます。
遠足は計画を立ててる時が一番楽しいとも。

2017年10月22日日曜日

高木東六講演会「鶴」@米子公会堂




10月21日@米子市公会堂(鳥取)高木東六の音楽レクチャーとともに。「鶴」

 島根大学藤井先生(高木東六研究者)のお誘いで鳥取出身の作曲家の作品をもとに鶴を踊りました。昨年わらべ館(鳥取市の童謡唱歌ミュージアム)の企画で韓国の人間国宝さんによる復曲に続くシリーズ第2弾。
この音楽は高木さんが朝鮮に行っていた時代にアリランや韓国舞踊を見て影響を受けて作ったものだとのこと。そのため前回は完全な韓国舞踊で。今回は現代舞踊で自由に作ってくださいと言われました。
鶴、歌詞は村山知義で、春夏秋冬と4曲あるうちの1曲で、春に生まれた鶴が父よ母よ兄よ妹よと呼び寄せいざや舞えというような歌詞なのですが最後の最後にこんな歌詞がある。
春はたけぬ、たけぬ春

たけるをどのように捉えるかで色々考えてしまいました。深まるか過ぎるか。
さらにたけぬ春は連体形なのでたけない春となり、捉え方によれば反語の形だよなあと。

呼び寄せているけれども兄や妹は来ていない、そして春はすぎて行こうとしているでもまだすぎていないと思うのだとすると解釈をしながら、ここで鶴の恩返しを思い出し、鶴の恩返し要素も振り込むという構成にしてみました。
ついでに言うと同僚が鶴と言われて思いついたクレーン(ちなみにクレーンの語源は鶴です)も動きに追加。
なかなかない、と思う。

鶴の恩返しに合わせて衣装を着物風にし、韓国舞踊の要素と日本舞踊の要素を足して「現代舞踊」風(コンテンポラリーではなく日本の古き良き(?)現代舞踊)にアレンジ。私は石井獏系ではないですが、まあ良しとしましょう。

 こんな感じで貴重資料の展示もあります。これらは鳥取市(東部)のわらべ館と山陰歴史博物館(米子)の協力によるもの。講演会でも、王子製紙米子工場の歌(高木氏作曲)などマニアックなラインナップ。地元でなければ出てこないような貴重資料がザクザク。
なお、最近の社歌ブームをおもうと、かなり初期の頃に手がけていた(全社員にレコードが配られたりしたそう)ものでそういう意味でも興味深い。
 珍しく化粧をしている姿。でも肌黒い鶴。
多分15年ぶりくらい。レアです。
 クラシックの雰囲気の中に間違って来ちゃった鶴さんな感じでてますね。ちなみにこれがクレーンの動き。


アンコール用に水色のワルツも一曲。
こちらがチラシとパンフレットになります。










音楽は楽譜があるのですが、ダンスは記譜法が確立されておらず、多くの踊りはその場から消えていきます。
それらを当時の証言をもとに史実に基づいてきっちり復元させていくというのも一つの大事な研究です。が、それと同時にそれらをヒントに今に繋いで新たな解釈を加えながらまとめていくのも創造性に溢れる楽しい作業ではないかと個人的には思います。
アーカイブ事業はダンス業界で今流行りですが、こんな形になったのか!と言いながら当時に想いをはせてみる。そうすることで歴史に埋もれていた作品が日の目に当たっていくのです。この考え方はダンスアーカイプ構想の影響だなあと思います。ダンスハ體育ナリもそんなところから考案されたのでした。
そんな時に今回の藤井先生のように研究者の言葉や視点があるのは心強いものです。
これまで私自身は自分で調べながら作品を作っているのですが、ちょっとかしこさが足りないので、ブレーンさんを呼べばいいのではないかと感じました。ブレーン募集。

最近、周りに鳥博士が増えて来ていて、これはやはり鳥捕りの踊りを作りなさいということではないかと感じます。今回はまず鳥側をやったので、鳥捕まえる人と合わせて一個になるような。
あと意外なところにキノコ博士を発見しました。鳥取に菌類研究所があるそうです。キノコノキカクによるキノサイコによるキノコ作品、キノコを食べる企画付き、キノコチケットでチケット取り扱い。いかがでしょうか。



今後の予定(2017.10/22)

○木野踊ります。

いろいろあり、久しぶりに声をかけてもらったこともあり、踊ります。現在のところは以下の予定。呼ばれればどこへでも。おどりこさいこ



11月4日高知美術館中庭(高知)「みみをすます」
 6月のイマイチパフォーマンスで取り上げた谷川俊太郎の詩でリベンジ。今回はMiyaさん(フルート、東京)、カタタチサトさん(ダンス、高松・高知)、浜田あゆみさん(朗読、高知)にご協力いただき、開館記念のお祭りの中、静かな時間を演出します。水辺に降り立つ鳥でしょうか。鶴?!

11月24、25日女子体育連盟全国大会(米子)
 なぜか鳥取で開催される全国大会。前任の佐分利先生が頑張っているので、お手伝いしています。踊りませんが、もう大変です。

12月3日ミニワークショップと小さなコンサート@ちいさなおうち(米子鳥取)
 tottoでもお世話になっている水田さんがやっているアートスペースの企画。米子出張が続きます。

12月9日わらべ館ワークショップ
10:30−11:30 わらべ館いべんとほーる
 夏至祭で行った即興ダンスと即興音楽ワークショップシリーズ復活させます。
これから少しずつ(できれば春くらいからは毎月くらいペース)で続けていけるといいなあと考えています。鳥取在住の音楽好きの皆さん、ぜひご協力を!


今年の大きな勝負は高知美術館中庭の水でしょうか。


○ダンスハ體育ナリ続編について
現在、来年2月に発表できるように頑張ろう計画が進んでいますが、昨年に引き続き鳥取大学地域学部の教養科目として「グローバル時代の社会と国家」で1時間担当し、お話させていただきました。今でも毎月のようにダン体ゼミ(プロデューサーとの対話)が進行していて、もはやダンスではないけれど、これはこれでまとめなければいけないなあと思っています。ちなみに前回の話題は盆踊りとパラパラの類似性について池袋ニュー盆踊りを参考に。まだまだ続いています。

昨年は明治期の運動会、体操の変遷をたどりながら、オリンピックまで話を膨らませて「体育」がスポーツへと変わりつつある流れを学びました。
今年は1940年になくなってしまった幻の東京オリンピック・万博・札幌オリンピック(すごいな、全部やろうとしていたんだ)にフォーカスを当てています。
というのも、ダンスハ體育ナリで出てきた謎の体操写真、ほとんどが1938年。オリンピックがなくなった年です。しかしその後、オリンピックは中止になっても競技場の造成は続き、体操の流行へと走ります。軍国主義とこの体操の乱立は実はつながっていて、集団で揃って行う体操こそが訓練でありました。
何万人もの人が一箇所に集い同じ体操を一糸乱れずに行う写真が大量に出てきます。また、皇国2600年奉祝祭の関連イベントとして数多くの競技会が開催されました。

昨年のプログラムノーツの言葉です。
ダンスもスポーツも社会に利用されつつ発展してきた。知らず知らずに影響を受けてしまうものだからこそ、知る必要がある。踊る上で大切なことは当事者として感じ、考えること。現代はそんなにファンタジーじゃないし、カッコつけてる場合じゃない。今、必要なことを考えるためのダンス。それを私は作りたいと思う。


今回はダンス関係者ではないため、大野さんのお話はありませんが、西洋的近代的身体を作り上げるために生まれた体操にフォーカスを当て、日本人の「揃った動き好き」について考える内容を目指します。
 そのうちまとめて第2弾、いきます。
鳥取在住者で興味のある方は木野までおしらせください。



2017年10月13日金曜日

始まりの祭り


10月7、8日始まりの祭り@妻木晩田遺跡(鳥取)
 夏至祭を見に来た大山チームより是非にとのお誘いが。先日アイヌ刺繍で盛り上がったついでにアイヌ踊りを調べてみようなどの話が出てました。

お祭り自体は大山ガガガ学校と妻木晩田遺跡の学芸員の協力のもとアイヌ文化を広げる活動をしているアシリレラさん、夏至祭やMobiusでもすっかりお世話になっているやぶくみこさんも集まって、ユーカラ(歌、踊りも一曲。アイヌ神謡集の「金のしずくふるふるまわりに」もあり、個人的にはちょっと嬉しかった)あり、カムイノミ(お祈り儀式)あり、ガムランワークショップあり、歌って踊って叩いちゃうなんでもありな会(私の中では夏至祭に続く弥生収穫祭@妻木晩田)もありの楽しい3日間でした。

カムイノミのせいか、雨と言われていたのに、晴れまくりで、私は真っ黒黒に焼けてしまい、黒い鶴(次の演目は鶴)になってちょっとしまった、、、と思っています。


超晴れまくりのこんな感じ。私が来ているのは弥生の服に似せて作った貫頭衣(手作り)
中心にいるのはこっちの大山研究所大下しほさん。
木野は太鼓やチャクチャスを持って皆さんをご案内するツアーガイドです。

 センターだけではなく主要な遺跡を学芸員の長尾さんが説明してくれます。(森の妖精のよう)ちなみにここは竪穴式住居、復元。下に同じような建物の跡があり、それを丁重に保護して埋めた上に立てています。
ここは村のはずれで、一軒だけ離れて立っているとのこと。その後ろはお墓。
お墓を守ったり、儀式をするための場所だったのではないか?とのこと。
また光が差し込んでいて、お墓側に窓が開いています。西窓です。(つまり春分、秋分の時に来いということです)
ジャンベや太鼓やいろんな鳴り物を持って演奏しまくり、光の中で踊りまくり。
竪穴式住居を出ると、この眺め。一番いいところにお墓があるのです。これらのお墓もその上に乗ることができます。で、ちょうどいいサイズの石の配置なので寝てみます。


 カサラファーム(奥大山にある農園)でアフリカンドラムやってるサイモンさんたちも合流、みんなで楽しく踊る日でした。

考古学はあくまで掘って見えてきたものから推測していくのだけれども、どんな暮らしだったのか、どんな踊りが踊られていたのかは想像です。祈りや鎮魂やそういう気持ちを持って踊る踊りは必ず人の心を打つのです。
こんな光景を思い浮かべていたと長尾さんと大下さんが涙をこぼし、私はこういうときのために踊ってきたのかもしれないと思ったのでした。