2017年9月14日木曜日

旅に出る5

劇場文化というもの
オディシャビエンナーレの話をしていて出てきたのが、インドではお金を払ってダンスを見に行くという発想があまりないということ。もともとお祭りの時などに披露されるダンスはあくまで奉納するものであるし、劇場に行くという文化自体がほとんどない。ビエンナーレでも劇場を作ることから始まる。
カメルーンに行った際に、劇場がコンベンションで、赤カーペットが敷き詰められていたが、「劇場のような広い空間」を劇場として使うことにする時もある。当然そのような場所では知らないものにお金を払うわけはないわけで、無料公演(あるいはそれに近いもの)となる。そうなった際にどこがその予算を出すかということになる。(今回で言えば日本の力は大きい)
ラッセルカンパニーでキプロスに行った際、ブリティッシュカウンシルが全面支援をしていてチケット代は3ー5€くらい(キプロスの通貨)と聞いたことがある。その前は無料だったという。これはブリティッシュカウンシルがキプロスの劇場文化を支援し、だんだんお金を払って見に来るようにしながら”イギリスダンス文化を浸透させる”ためだと聞いた。つまり世界中に様々なダンスがあるけれど、イギリスのダンスがいいよねという観客を作るための政治的判断であり、国際交流、国際貢献と自国の文化政策と、全て織り込んでいる。
ちなみにカメルーンの結構立派だったコンベンションは中国の支援によるものと聞いた。アフリカ諸国への支援を手厚く行い自国イメージをよくしていくこととその建築に伴い中国人たちの雇用を作り、移住を促すのだそうだ。(実際に中華料理屋さんなどがアフリカにもあることに驚かされる)
私たちが当たり前と思っている劇場文化はじつはここ百年程度のものに過ぎず、また、そこに色濃くパワーバランスが働いていたりするということを知ると唖然とする。




オリッサのダンス、オリッシーダンス
オリッサ地方で盛んなダンスをオリッシーダンスと呼ぶ。インドはダンス大国で、地域ごとに全く異なるタイプのダンスがあるが、特にその優美さで知られる。まさこさんはかれこれ20年ダンサーとしてインド国内、海外問わず活躍している。
今回せっかくの機会なのでクラスを受けさせてもらい、出来ないなりに味わってみる。
型が明確にあり、システマティックに行う基本ステップがあり、それをまず教えてもらう。足踏みが多いのと、足と胸の動きが完全に独立している。アフリカンダンスなどは同じように足踏みをするがその踏んだ足からのエネルギーを上半身に伝えていく(あるいはその逆)有機的な動きが多いのに対し、カウントに合わせ、正確に体に入れていくということが求められる。この感じはバレエのバーレッスンに似ている。
実際、膝を曲げた姿勢(俗にいう1番プリエと2番プリエの間)を基本姿勢としており、その形を長時間し続けるためには180度(あるいはそれに近い)の脚の開きを必要とすると考えられる。指導者により後方へ腰を出すように教える人もいるらしいが、まさこさんはそうしないようにと学んだという。(実際に180度に近い形で開くことができなければ腰や膝に多大な負担がかかるだろうことが予想される。また極端に下半身が太くなってしまうだろう。)ある種の身体変工、そして選ばれた人でなければ出来ない踊りでもある。
また、演劇的要素が多くあり、役割に合わせて顔で表情を作る。眉の上げ下げ、目の表情、目の下のところの細かい震えなどを訓練によりできるようにしていく。
訓練、という言葉が的確で、毎日朝から晩まで宿舎で、踊る日々が続き、その結果としてのプロの技でもある。ある種の進化した身体を見させていただいた。

この後いくネパールで触ったチャリアダンスと対比すると非常にわかりやすい。





少数民族、トライブの存在
オリッサ地方はインド国内でも特に少数民族が多くいる地域である。民族がいるということはその数だけダンスがあるので、私はそこがとても気になっていた。ナガランドではないけれど、それはそれで面白そうと思い、民族博物館や図書館などにも足を運ぶ。ちょうどオディシャビエンナーレはDACHOAという蜜蝋細工を行う人々の紹介ビデオ(冊子もある)を作っているところだったりもした。
ダンスと言っても男女が集団で踊る掛け合いのようなものや連なって踊るものが多い。揃いの民俗衣装を纏い、ナショナルトライブダンスフェスティバルで踊る映像を博物館では出している。(毎年12月に開催しており、インド各地域の少数民族が集まってくる)時間制限や空間の変化があるため、実際に行われているものとは異なってしまうかもしれないが、貴重な映像でもある。
ふと日本の伝統芸能祭りを思い出した。日本にも多くの民俗芸能祭りがあり、国、県などの支援のもと劇場でまとまって公演を行っている(鳥取でも行われていて、無料公開している)。この祭りを励みに日々精進を重ね訓練している団体も多い。一方で何人かの民俗芸能関係者はその危険性を指摘している。演出が加わったり、衣装が華美になったりという変化が起きていることも事実で、「民俗芸能」というあくまで変容していくものだからこその難しさを感じたことを。
この揃いの衣装、空間構成、そうだよなあ、と思っていたら、インドにもそのことを指摘している人(書籍にある)がいて驚いた。やっぱり、どこも一緒なんだ。。。なお、その本はアフリカンダンスやアメリカインディアンダンスなどとの共通点も上げていてちょっと興味深かった。(著者は別の人)これについては後述。
そんなわけで、ますます気になってしまった少数民族の存在。日本に帰ってもう少し勉強して出直さねば。


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