2017年9月14日木曜日

旅に出る10


ブクタパルのサランギ作り職人
カトマンドゥから40分程度だろうか、古都ブクタパルにいく。日本でいう京都のようなものと言われており、街全体が世界遺産。ネワール人が作り上げた彼らの文明の粋が集められている。カトマンドゥからは地元の人と同じバスに乗って見たもののちゃんと行き先を行ったのに聞き間違えられたらしく違うバスに乗ってしまって30分。途中から乗って来た親切なお姉さんが、あなたどこにいくの?と聞いてくれて間違いが判明、乗り換えかたを教えてくれたりする。(彼女はブクタパルから来て乗り換えたところだったのよと言いながら一回バスを降りて案内してくれた)しかもその時睡魔に襲われていて、ふと気付いたのがそのお姉さんの言葉掛けだったので、女神に見えたのはいうまでもない。
ブクタパルでは寺院の美しさはさることながら(カトマンドゥやパタンよりも地震の被害は少なく、またまちがゴミゴミしていないので観光という点でもおすすめです。(そのかわりチケット代が1500ルピー)
街中を歩いている途中でサランギというネパールの弦楽器を売っているおじさんに出会う。おじさんの一家はサランギ演奏をしている一家らしく、お父さんもお兄さんもおじさんもサランギを演奏しているそう。持って帰れないよといいながら、おじさんが聞かせてやるというので遠慮なく聞かせていただく。
おじさん曰くこれまで長く音楽家の地位は低かったという。今でもレストランなどに弾きに行ってもチップがもらえるかどうかで(でも観光客ツアーは大体食事代に含むと思うせいかくれないとちょっと怒っている。みなさんよろしくお願いします。)経済的にも地位的にも低く見られていると感じている。先進国では芸術全般特別な才能と思われるが日本でも趣味で個人がやっているんでしょと捉えられるという話をすると頷いてはいたが、後から調べてみると、カーストの壁がかなり大きいようだと思われた。
もちろん日本のダンス、音楽状況の厳しさはよくわかっているけれども、それ以上に世襲制、かつ隔離される存在の芸能民カースト。ネパールの彼らがいう厳しさは私の考えた大変さ以上のものがあるのではないかと感じた。
彼は普段サランギや様々なお面(観光客向けのもので正式な儀式に使われるものではない)を作り売ることで生計を立てている。彫るのが得意なのだ。でも美術品のように色々絵をくりぬいた作品サランギは音の響きが悪くあまり好きではないという。時々くる演奏仕事は喜びだけれど6時くらいから仕事が一切できなくなるのに給与保証がない(ほとんど収入にはならない)現状に苛立ちを覚えつつ、喜びだからとつづけてしまうのだという。日本の音楽も演奏するよとのこと(実際聞かせてもらった)。片言の日本語もこなしている。
大変だけれど、それでも自分は恵まれているという。地震後家を立て直すことすらできない人たちもいる。そんな中、自分はこうして店を復興し、新しくくる観光客に出会うことができるのだからと。
頑張れ、生きろと私は言いたくなる。たくましい。
私がかつて言われたように(いまも?)。


インドラジャトラ
 本来このお祭りを見に来たカトマンズ。あまりに濃すぎる日々ではあるが、ちゃんとお祭りにも顔を出す。中心地のダルバドールスクエアにいるクマリ(ネパールの生き神、女の子)が街中へ出ていく(日本でいう山車に乗せる)ほか、ライスワイン(白濁しているのでどぶろく的なものと思われる)を奪い合う男子対決とか、ぞうさん(日本でいう獅子舞の激しく、大きいやつ)の大暴走とかいろんな意味で喧騒とカオスのお祭り、しかも1週間続く。
踊りもある。この子達は古都ブクタパルからやって来たという。黒い子達はゴーストだそうで、顔が見えない(ちょっとザングルロを思い出す)。みんなと踊った後、その後さらに残って激しいデュエットを行う。アクロバティックな組み動きや伊勢太神楽を彷彿とするような肩の上に乗っかる技などを披露するため大人気になっていた。
 なお、ネパールはお祭りが本当に多く、毎月1週間くらいは仕事にならない状態が続く。お金ないだろうに、放蕩しちゃう。まだまだ謎の深まるネパールという国。


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