2017年4月11日火曜日

グローバル時代の国家と社会 2017

グローバル時代の国家と社会という授業も密かに担当しています。

昨年大学に来る前に「ダンスハ體育ナリ」で女子体育の歴史を追いながらダンスと体操が近づいてきているという話をしました。そしてマスゲーム的なものが流行っていく傾向について考えていました。揃って踊ることがなぜ皆好きなのだろう。大学に来たら、君が代問題に疑問を投げかける先生方に会いました。グローバルな大学をと言っているけれども、この国歌や国旗についてちゃんと話し合いを持たないままトップダウンで決まっていってしまう現状に対してです。
軍事研究問題も同時に起こり、なんとなくふわっとまとめられてしまい、自分の言葉でちゃんと話すということをしなくなっているのではないか。物事には多様な見方があり、だからこそ面白い。でも効率に押し流されて話し合うことを放棄してしまう。民主主義は本来あえてそのややこしく面倒なプロセスをたどるためのものだったはずだ。

昨年の授業の立ち上げからいろんな先生とお話しし、政治情勢も含め、危うい今を感じています。歴史の教科書が変わっていっているという事実、考古学が戦争の理由として利用されてきたという事実、各回の授業の内容はそれぞれの専門から日本の今を切り取るものでした。
この授業はそもそも答えはひとつだと思い込んでいる学生さんたちに疑問を投げかけようというものです。昨年私は運動会の成立と近代的な身体の使い方への変化、集団行動の美について触れました。今年はオリンピックに合わせて一気に増える文化イベントの話と1940年にあるはずだったオリンピック(東京・札幌)、万博の話を織り交ぜながら、政治に翻弄されてしまいがちな文化の側面について話せたらいいかなと思っています。この機会を利用して一気に芸術文化国を目指すのも大事なのですが、花火で終わらせない、生きるための芸術をちゃんと考えることも必要なはずだと思います。

個人だからこそできることもあるはずです。
集団の力の方がもちろん強い。でもそれでも小さいなりにいい続けていくことが私の仕事ではないかと思います。




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