2015年1月28日水曜日

イギリスからフランスへ

ただいま夜行バスに乗ったところ。さすがにパソコンは出せないので携帯にて。

今回のイギリス滞在はコミュニティダンスの調査も含んでいました。プレイスコミュニティ部門のクリス、オクスフォードのセシリアのクラス、ローズマリーリーのアシスタントなども務めたくましく活動しているあやちゃんなどいろいろ話しましたが、結局わかったのはコミュニティダンスというものをやりたいわけではないらしいこと、明らかに違うものを目指していたから違和をずっと感じていたのだということでした。

ラッセル、アレックスなどにあえたのもよかった。
ビジネスとしてのサドラーズウェルズを感じたり、(アレックスは放映権でbbcともめたらしい)逆にいまのうちに作家としてのキャリアをつめと後押しされたりもして、私がしてきたことは何もないわけではないのだと、改めて思った。ダンサー業をしてきたり、学校つながりが強いプレイスで作品をつくる環境を作ってきたことは、日本でわかる人がいなくてもゼロではないはずで、これだけあるものを知ってもらうことができればよいだけだとも。
少しずつ作品を成長できるようにがんばろう。

2015年1月19日月曜日

札幌行き

札幌に打ち合わせと踊りにいくぜをみにいきました。
打ち合わせは3月のAmanogawaと公演のため。
とにかくチラシを抱えて、レッドベリー、コンカリ、パトス、あけぼの、教文、CAI、天神山アートスタジオ、あちこち周り、ご挨拶に伺う。その間にも横山くんなどにあい、踊りにいくぜでは4月に企む山崎あみちゃんや教文ダンス部さんの懐かしい顔ぶれにあい、もうとにかく密度の濃い2日を過ごしました。

何と大雪で、飛行機が飛ぶか飛ばないかかなり怪しかったのですが、なんとか私の便はとんでくれて、でも最終がさらに遅れに遅れて終電も全てでたあとだったので、羽田空港に泊まるはめになりました。
北海道の雪は侮ってはいけません。
待ち時間はひたすら申請書やらレポート課題やらを書き続け、頭の中はもういっぱいいっぱい。
羽田から帰り、そして再び羽田へ。同じ一日のうちに再びやってきました。
いってきます。

グスコーブドリ

グスコーブドリをみに静岡へ行く。
この直前のばたばた具合だけれどどうしてもみたく思って平日に強引にいくことにした。

宮沢賢治作品だからというのが私にとってはとても大きい。

宮沢賢治は詩人である。
言葉の人。
自身も戯曲を書き演劇を指導したりしていて、楽しい作品も多い。
言葉遣い、擬音語擬態語もたくさんはいっていて、純粋に言葉を楽しむ作品だと思う。

銀河鉄道を作ろうとしたときにも言葉のことは気になっていた。
どうしてもそのままやると演劇的かたちをたどらないとできないのではないか。ダンスとして絵巻物のように、観客も鉄道にのっている(観客自身がジョバンニとしてなりたつ)かのようにシーンを展開できるように考えた。

言葉のひと宮城さんがつくるんだったらどうなるんだろう、と思ってみにいったら、
演劇だった。
当たり前なことだが演劇ってずるいよなあと思ったりした。
とても重要なことは賢治の言葉ではない言葉がかなり挿入されており、そこにかなり重い台詞が混ざっているということ。哲学というか真理のようなものが、ものすごくあたりまえのことにように折り込んであって、ぼーっとみているときがつかないかもしれない。多分その日みていた中学生の多くが通り過ぎてしまった言葉。ナオコーラさんの言葉なのか宮城さんや役者さんたちからでたものなのかはわからないけれど、それここでくるのか、ということ少なくとも3回。私はこれを再び戯曲として(テキストで)よみたい。

もっとも私が好きなシーンはブドリが無音の中静かに仕事をしていくところでしょうか。
多分、それだけでもう十分なのです。

とても美しくとても凛とした生き方のような作品だったと思う。
でも中学生たちにその感覚がわかるかというとわからないだろうなあ。。。


賢治の生き方をブドリにかぶせているけれど、なんだか宮城さんそのままみたいと思う。


一方で賢治はそんなに美しい人ではなかったし、美しさを求めていたわけでもなかった。もっとエネルギーの高い人だったと思うし、熱い人だった。その熱さはどのように出していけるのか、そんなことを思ったりもしました。だからダンスと思ったのかもしれない。

2015年1月10日土曜日

Dear John

Dear John

イギリスの親友アシュフォードさんが今年はかなり早くに登場、横浜にいくというので会いにいった。
イギリス末期の一番迷っていた頃(ちなみにアシュフォードさん自身も引退前に引き継ぐ都合上暇になっていた時期)の茶飲み友達。まさしくtea。
大体1年に一度横浜の赤レンガ周辺で目一杯話す。
私のつたない英語を理解する数少ない人間だが、1年分の話しは尽きず、本当にこれだけながい間よくきいてくれると思う。
ポトラッチ、静といった私の作品、カメルーンでの珍道中からコミュニティダンスまで。逆にイギリスの変化についても。今まさにおきているパリのテロ事件についても。
既に70歳を超えるのにまだまだ元気で、欧州ダンスネットワークaerowaveは会社になったそうだ。既に助成金申請のために7年計画を立てていて、倒れられない、と笑う。(とりあえず3年は続けその後のことは考えているところとのこと。そういいながらこの2期が続いている)今回おり込められなかったけれど、いつかアジアとのエクスチェンジも!アメリカやオーストラリアなどとの連動もと野望は広がる(でもこれは3、4年前からずっと言っていて、実際そのためにもかなり動いていたが上手くいかなかった。それ故にすごいこだわり具合)。
元気!
ちなみにイギリスは年金受給を1年遅らせるごとに10%受給額があがるのだそうで(昔は特に金利が高かったせいもある)10年くらいがんばって仕事続けたら年金受給額2倍!!なんて話しをしている。そりゃあがんばるね。
中冨さん(横浜赤レンガダンコレ担当)曰く40周年の記念誌にはちゃんとコメント書いてねとのこと。あと20年がんばらなきゃね。(ということは90歳???)

話しが終らず、続きはなんとロンドンで。





そして思ったのは、英語、本当にやったほうがいい。。と。



2015年1月8日木曜日

青山円形劇場

青山円形劇場にミュージカル「夢の国のちびっこバク」をみにいきました。

青山円形劇場(と青山劇場、こどもの城)は今年の3月で閉館する。
その最期のプログラムとしてこのファミリーオペレッタが行われている。(11日日曜までただし既に完売とのこと)

青山にかかわるようになって以来、正月時期に関東圏に居るときにはできるかぎりみてきた私ですが、実はそのはるか昔30年近い歴史を持っています。今年の作品は新作。これまでの30年の歩みを込めた力作でした。(実際に台詞や衣装に過去作品を織り交ぜてもいる)
円形劇場ということもあり、ここでしかみることができない演目、しかも子どもたちがあきないようにと参加型の演目。30年の間に練り上げられたもの、その集大成です。

エンターテイメント色を持ちつつ、こどもたちを諭し、でも説経くさくない。夢のような様々な踊り、歌、シーンが展開しながらこの距離感を生かしてみんなでわくわくしながら過ごす1時間半以上の時間、これだけ多くの子どもたちがいるのに飽きさせないすごさ。
まちがいなく温子先生の最高傑作です。
そしてスタッフの皆さんの愛情と
かかわる人たちの想いがこもった作品です。実際30年経っているとその昔子供として参加して親として子供を連れて見に来ていたり、スタッフとして参加していたりということがあるのです。
タカセのプロジェクトで私が感じていた原風景みたいなものはもしかしたらここにあるのかもしれないと思いました。タイプは全然違うのですが。私が高校生のときには11匹のねこ(井上ひさし原作の絵本をオリジナルミュージカルとして啓北商業、旭丘高校合同公演としてやまびこ座で上演)しました。が高校時代の私たちには継続という事は考えることができなかった。そのはるかに大きな規模でさらに30年という時間を積み重ねて成長させてきたミュージカル。

またここにかかわることによって幼児教育や遊びの範囲にふれることになりました。幼稚園の先生になる子どもたちの授業などここで観察しながら考えたものが多くあります。遊びと授業としての要求されるレベルとでかなり迷ったりもしましたが、それもまた多くの学びでした。
つまり私にとって、この場所は学び場であり、育ててもらった場でもあります。

想いや愛はひとつの財産。この劇場にかかわってきた人たちを失うことはとても残念でなりません。ここからまた新たに出発していけるのかもしれない、でもこの場所を失うことは日本の幼児、児童教育において(たまたまですが待ち時間に立ち寄ったベネッセのお兄さんに力説してしまいました)、芸術においてかなりの損失だとあらためて思います。

青山は長い間コンテンポラリーダンス、バレエの中心地でした。私自身も2003年賞をもらったもののどうしたらよいか模索している中、日韓ダンスコンタクト、ダンストリエンナーレなど作品発表をいただき助けていただきました。玉川のミュージカルにかかわったのも大きな経験でした。現在活躍しているコンテンポラリーダンサーは皆青山に育てられたと言って過言ではありません。
その根底にこのファミリーオペレッタがありました。
お時間ある方はぜひ、ご覧下さい。(完売とはいえ、当日はありえます。私も当日でいきました。要問合せ)




おまけ
私が小学4年生の時こどもの城はオープンしました。
当時渋谷区民(結構近く)だったこともあり、オープン記念で招待され、現天皇皇后にお会いしました。当時最先端だったコンピューターで絵を描いた記憶があります。
おそらく初めて見たミュージカルもこの劇場でした。青い鳥。劇団四季でしょうか。
いろんな意味で縁深い、そして懐かしさを含む土地なのです。