2014年11月23日日曜日

ダンスを教えるということ⑩ コンテンポラリーダンスを教えるということに対する疑問

学校教育におけるダンスの評価について⑨で書いた。
ダンスに評価はそぐわないと私は考えるが、アゴン(競争)を求める人は多くいる。
世の中のコンペティション、コンクールはそれゆえにあり、そしてなくならない。

おそらく前にも書いたとおりそれらをとることで得られたものは大きい。(All Japan dance festivalも横浜ソロデュオも)ただ世界では競争ではないかたちにシフトしていく傾向があるのは事実だ。バニョレしかり。アシュフォードの行っているアエロウェーブもまた20作品を選ぶ(パートナーであるディレクターたちと会議を行い決定する)ことはするがその後は各ディレクターの判断で招聘を行っていくだけで、作品に順位をつけたりはしない。(なお、今年は560の応募があったのだとか。それを全部みているのだから恐ろしいことだ)

美とは一つではない。
それぞれがそれぞれに突き抜けていけばよい。
ただそれだけのこと。

芸術系スポーツであるフィギュアや新体操、シンクロなどは順位をつける。その順位をつける基準が分かる必要性があり様々な技術1つ1つに点数をきめ、俗にいう主観の入る要素を減らしている。(それでも全く主観がなくなるわけではないし、毎年なぜあれが高得点?(あるいは低得点?)などの論議はおきてしまう)
ただここの人たちには確実に“これが美しいだろう”と考える理想がある。
少なくともその”理想”があると信じている。

クラシックバレエでも技術の部分は明確に分かりやすい。
回転は1回転よりも2回転できる人の方がよい、5回転できればもっとよい。
トゥシューズで踊れる方がよい(でもこれには賛否両論があってこの前話したカメラマンの友人はあの足は一体なんなの!!といいはったりしている)。
その技術を成り立たせるための身体の使い形があり、それが美しいと捉えられている。
だから皆日々努力する。

コンテンポラリーというジャンルになってしまったときにそのような理想が崩壊した上で何をしていくかというのはかなり難しい。
ラッセルさんも牧野先生もニヤカムさんも基本のバレエの形を利用してそれを崩しているだけで完全崩壊はしていないからまだ分かりやすい。ただコンテンポラリーダンス教えてくださいといわれたときに何を教えるかというのは結構難しい。
決まった動き方はないし、最低限の身体のコントロール方法とケガをしないための最小限の知識は伝えたいと思うが、一緒に動きながら考えましょうかということくらいだろうか。
ちなみにラッセルのベースになっていたのはヨガ、カポエラ、太極拳、コンタクトインプロビゼーションと話していた。そう、こういう時にコンテンポラリーダンスという言葉は出てこない。またロンドンダンスのベースになるカニングハムテクニックもでてこない。
ニヤカムさんはアフリカンダンスイメージが強力だけれど、実はカメルーン国立舞踊団のダンサーだったこともあり元のベースにバレエがはいっている。だからアフリカンのステップを踏んでいるところ以外はバレエ経験者は動きを覚えやすい。彼自身がいたドミニクエルヴェ仕事によりヒップホップが混ざることもある。
つまりなんだかいろんなものが混ざった状態でしかない。


もしもコンクールやコンペティションで勝てるように指導してほしいという場合、私は教えることができない。
もしもコンテンポラリーダンス教えてくださいといわれても教えることはできない。
なぜならば”理想”というものがそこにはないから教えようもない。


ただ身体について一緒に考えましょうということはできる。
(そうなってきたときにお金をとってというシステムがそぐわず、仕事になっていかないという状態。)





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