2014年6月8日日曜日

ジャコメッティと頭部

ジャコメッティの展示があるときき駒場博物館へ展示をみにいく。
《終わり泣きパリ》、そしてポエジー

東京大学駒場の中にあるこの博物館、昔友人が展示していた時以来10年ぶりくらいに伺った。なお、この中にはあの「彼女の独身者達によって裸にされた花嫁、さえも」(通称大ガラス)の世界で4枚しかないレプリカの1枚があるそうで(しかもこの展覧会作った小林先生が若かりし頃制作に携わったという)それもみることができた。

コルビジェこんな絵かくんだーというのが最大の驚き。

ジャコメッティの最後の絵、空白やっぱりかっこいいなあというのが最大の感想。
ジャコメッティは女性の図もたくさん書いており、あの針金のような感じではないこともとても興味深かったり。

その後フランス文化学院で行われた哲学の夕べの中でこのジャコメッティに関しての講演(あとでちゃんとみたら話し手の桑田さんはその展示のアシスタントキュレーターだという)をききにいった。その中で様々な描き方をしていた時代を経た後頭部だけをひたすら作り続ける時代があるとのこと。しかも具象の。
そして大量の絵をひたすら描き続けたのだという。
常に時代は変わる。
常に時代は進む。
それをひたすら描き続ける。
描いても描いても時代は進行していくので、描ききることはない。

一人の人をみていても常に変化をし続ける。だから描ききることはない。
常に追いつづけ、常に切り取りつづけていくことしかできない。

様々な画法を尽くしてしかしそのシンプルなところにたどり着いてしまったのだろうと思い、大量の頭部の写真(のプロジェクション)がちょっといとおしく思われる。

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