2012年9月13日木曜日

夏休みの宿題

どうでもいいが、私は夏休みの宿題を最終日すぎて行うタイプの子だったと思う。自由研究はともかく、中学、高校にはいってからは宿題を出さずになんとなく終らせる、、、(ごまかす)なんてこともしばしば。そもそも普段の宿題も翌日学校についてから朝の会が始まるまでに何となくごまかすという状態だったので、数学の成績が悪かったのも仕方ない。

タカセの夢のこどもたちは2日目のアフタートークで将来の夢をきかれて様々に答えた。(小学校の先生とか、声優さんとか、歌手とか本当に様々だった。実はお昼休みのときにニヤカムさんがきいていて、別に試験前のやまはりではないがちょっとほっとした子もいたに違いない。でも実は同じ答えでない子もいる笑)将来とはいつ頃をさしていただろうとちょっと考える。

ここ数年自分の目標の中では短期的にするもの(いつまでに作品を仕上げなきゃなど)と、長期スパンでみるものとで分けていたが、長期といっても2年くらいだった。10年後くらいが勝負といわれて、はっと気がついた。(ダンサーなのに10年後が勝負ってちょっとそれはそれで心配だし悔しいのでがんばらねばならない)

一生を通じて私は何がのこせるだろう。

edgeをつくったのは2003年、それからおよそ10年。(まさしく10年10色)
そのとき榎本了壱さんに「これを超える作品は10年後かもしれない、もしかしたら2度とつくれないかもしれない」と言われたことを覚えている。10年よりは少し短かったけれど「かめりあ」そしてことしの「からたち」とこのシリーズ、そして「AMANOGAWAプロジェクト」は全く違うタイプででもきちんと形にできたと思う。でも超えたのかどうかは不明。
あれから10年。
そして次の10年。

タルコフスキーのサクリファイスで枯れ木に水をやり続ける親子のはなしをあげるまでもなく、続けることで見えてくることを考えるときにきている。
そして私の中にあるという「狂気」をみつめていかねばならない。

今年の夏の宿題はちょっとヘビーで、しかも期限はだいぶん先。
でも、宿題を出してくれる人がいるということはちょっと(いや、とても)幸せなことだということにも気がついた。Mなわけではない。ただ、待っていてくれる人がいる、いつかみたいと思っていてくれる人がいる、それはつくる人としてはうれしいことだ。それらの人の想像を超える(もしくはぶちこわす)、そのときまで。それまでがんばらなきゃ。

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