2012年7月4日水曜日

ダンスを教えるということ② 日本のダンス教育について

「ダンスを教えるということ」というタイトルで前に書いたのですが、福原隆造さんというスロヴェニア在住のダンサーさんよりご意見をいただきました。
http://ryuzodance.blogspot.jp/2012/07/blog-post.html

実はこの項目だけ読んでいる人の数が通常の5倍以上にふくれあがっていて、いったい何事か??と思っています。逆に言えば、興味を持った人が多いのかもと思い、補足説明のための項目をつくろうと思います。

今回は日本のダンス教育現場の現状についてです。
一般的な意味でのワークショップなどと異なり、今回は学校でのダンス教育というものを扱うのがよいのではないかと思いました。
私自身、各お稽古場の方針や方向性よりは学校の中でプロフェッショナルを育てていこうということに疑問を抱き、前項を書いたのと現状を知らないとこれらを読んでもよくわからないと思うので。

私自身のたどってきたダンス教育は
個人の稽古場に通う(札幌にて身体育成法をベースにしたモダンダンス、東京にてバレエをベースにしたモダンダンス)
大学にて舞踊教育学を専攻する(現在はこの学科名はなくなりましたが、コースというかたちで残っています)
中学高校の非常勤講師として保健体育の授業の一環でダンス指導を行う
ついでに(こっちがメイン?)ダンス部を指導する
海外(フランス)でフェルデンクライスをベースにしたダンスを学ぶ
海外でカンパニーダンサーとして働いたついでにワークショップのアシスタントを行う
大学で身体表現法の授業を担当する
短大で幼児体育(幼稚園の先生を目指す学生向け)の授業を担当する
海外から来たダンサーのワークショップ・作品制作をサポートする
一般向けワークショップを手がけたり、そこから作品制作をはじめる

となっており、学校教育のなかでダンスがいかに取り入れられたかをみてきたと思っています。また、中高、大学それぞれに所属していたので、その違いについても考えていきたいと思います。

1大学の「舞踊教育専攻」とは何を学ぶのか
私がいた学校は女子体育の流れから舞踊を学ぶ学科ができたということで「文教育学部」の中の「保健体育教員養成学科」に相当しました。
なので、保健体育教員(中高)免許をとることができ、そのための授業(各種球技、運動理論、教育心理など)が開講されていて、それに追加してダンスの授業がありました。しかしながらどちらかというとダンス理論(解剖学、運動学、歴史、美学、民族舞踊学など)が多く、実技は週に1、2回あるかどうかというかたちでした。
ダンス実技の授業としてはモダンダンステクニック、バレエの他舞踊創作法という名前での創作に時間を費やしていました。
なお、毎年4月には卒業公演があり、有志だけですがAll Japan Dance Festival KOBEというダンスコンクール(高校大学向け)に参加したりします。私も参加していました。
卒業後の進路としてはほとんどが一般企業(銀行、ITなど)に就職します。(当時)現在35歳になる私の世代は教員になった人間が多い学年で、とても珍しいといわれています。私は非常勤でふらふら(文字通り)していますが、私の他に大学に2人、中高に2人、同期の20人の中から専任教員がでています。
逆に俗にいうダンサーになるのはさらに珍しく、仕事につきつつ踊ることがおおいですが、たまにいます。私も人のこといえませんが、海外に出て行ってしまう人が年に1、2人。
ちなみに定員は1学年15人です。



2大学でダンスを学べるところはどれくらいあるのか
当時はまだ珍しかった「舞踊」教育学科でしたが、現在は日本女子体育大学さん、日芸さんなどかなり増えています。他にミュージカルを振付けるというお仕事で伺った玉川大学さん(当時アシスタントをしてくれていた子はNYでダンスを続けています)、桜美林さん、京都造形さんなど演劇やパフォーマンスの一環としてダンスを学ぶ学校も多くできました。教員養成のためのシステムではないので中高教員に必ずなれるわけではなりませんが(ちなみに私の母校でも授業カリキュラムのとりかたではとることができない)、その分実技指導に力を入れているため、在学中に多くの公演を経験することができます。ダンスの他ミュージカルなどで活躍する卒業生もいます。また、マネージメントなどを学び、制作など舞台に携わる仕事に就く人もでてきます。

最近は舞踊を高校で専攻する学生がでてきました。都立総合芸術高校にはコンテンポラリーダンス科があります。韓国では既にありましたが、ダンサーという職業を目指すのであれば低年齢化は当然ともいえます。韓国のダンス事情についてもまた書かねばなりませんね。




3しかしながらダンスだけで生きていくことはとても難しい
のが現状です。
これは日本に限ったことではなく、スロヴェニアにいる福原さんもそういっていますし、ロンドンで活動していたときに一緒にいた若手振付家たちは皆そうでした。若手じゃない振付家でも、例えばラッセルさんは長いことスェーデンマッサージで暮らしていたと話していたくらい。で、何かの副職につきながら踊り続けていくという形態になります。
踊りを教える(学校にて、ワークショップでなど)
手に職をつける(ラッセルさんのようなマッサージの他、映像写真技術、ウェブ関連などがおおい)
とりあえず生き延びるためにカフェバイト
といったところでしょうか。これはロンドンだろうが、東京だろうがあまり変わりません。

なお、海外生活が長かったのですが、ビザの問題は大きく、他で仕事をすることができなかった(特殊技能の持ち主としてよんでもらったかたちになっていた。他で仕事をする場合は別にワークパミットが必要になるが、手続きが面倒なのでなかなか出してもらえない)ので、当時私は「ダンサー」業だけで生活をしていました。ヨーロッパの子たちは他のカンパニーのオーディション受けたり、バイトしたり様々にできていたのですが、なにぶん仕事がない時期は無収入になるため、日本に帰ってきたりもしていました。私と同じカンパニーにいた韓国人はかなり苦労していました、、、。(節約コツコツ型のきのとダンサー職の華やかなイメージにひかれてきたシンの違い。私の場合1作目のtransmission/pushツアーがかなり大きく、そのときの収入をためておけたが、あたらなかった2作目から入ってきたシンは本当に厳しかったと思う)
ダンスをつくる(振付ける)のも仕事で、実際Place prize、Spring loadedと最後の1年位いくつか手がけました。これらもまたワークパミットやらビザやらで大変なことになり、このためだけに出国入国をする、サドラーズ・プレイスに書類をつくってもらうなどかなり迷惑かけまくりでした。

ダンスで生きていくためには何らかの副職が必要で、それを何にするか、また副職に就きやすい環境はどこか?ということを考えていて、日本に帰った方がいいのでは?と思った次第です。

もしロンドンではなくフランスでダンサーになっていたら、帰ってこなかったかもとは少し思います。他で働く可能性がでてくるので、それはそれで成り立つ可能性がイギリスよりは高い。もしくは結婚するという裏技(結婚すると配偶者としてビザがもらえます。なのでどんな仕事にも就くことができるようになる。あとは大学院でマスターをとると2年自由に仕事を探すビザがおりるといわれていました)もあったのですが、まあ、それはさておき。

海外に行けばダンスの仕事につける!と思う若い学生さんもいますが、そんなに簡単ではありません。



4ダンスを教える場所
ダンスを収入の手段にしようと考えたとき、需要と供給を考える必要があります。有名なひとならともかく、そう簡単に人は集まってくれないので、なかなか苦労します。
大学(ダンス専門の学生向けの他、一般教養の体育枠でのダンス授業)
中学高校の保健体育の授業(ダンス必修化で評判ですが、現在は現場の先生が四苦八苦しています。でもそのうち専門の人をそのときだけ呼びましょうというシステムになるのではないかと思っています。)

この辺りは自動的に学生がいる状況なのでよいのですが、
ワークショップを自分で開く
お稽古場、スタジオを運営する
スポーツクラブなどに組み込んでもらう

となってくると、「ダンスを踊ることのメリットとは?」を「売り」にしなければできません。「やせる」「たのしい」「ストレス発散」、自分がしているものとはちょっと違うかもという気がしますが、それでもダンスをしってもらうことはできます。ダンスをみたことがない、踊ったことがない人が多いので、まず裾野を広げるということは大切です。そう思って、一般の方向けのダンスワークショップを開くことがあります。AMANOGAWAプロジェクトもまたそのような意識からつくりました。

ダンスのスタイルがはっきりしているとこういうことをしていますというのが説明しやすく、イメージしてもらえやすいです。「コンテンポラリーダンス」よりは「バレエ」「フラダンス」「フラメンコ」「社交ダンス」などのほうが人気があるのもよくわかります。ある種の目標がみえていないと人は動かないし、集まりません。
カルチャーセンターで教えていた(渡欧前)ときは「バレエリフレッシュ」というクラス名でした。前にも書きましたが私はクラシックバレエの人間ではないので、ちょっと詐欺っぽいですが、バレエの技術は取り入れているのでよしとしました。

「ダンスはこういうもの」と説明できる
「ダンスは楽しい、面白い」などのイメージをつくる
「ダンスを続けよう」と思わせる目標設定を行う
そしてそれをできるコミュニケーション力、会話力、何らかのダンス技術をもつ

この3つを行えないと日本でダンスを教えるのは難しいのではないかと考えています。

ダンスを教える現場はダンスを知っていただく貴重な場ですが、自分が踊っているものがそのままつながっているわけではなく、それを取り入れつつ、わかりやすくまとめていくのが教育現場で必要なスキルではないかと思います。


なお、自分のテクニックを考案し、それについてくる人が一定数以上いるというところまでいければ、それはそれで自由に続けていけると思います。舞踏の稽古場などがそうなります。福原さんの話しにあるとおり、欧米での舞踏人気は確実にあります。私は日本でアフリカンダンスが人気というのに似ていて、自分の文化にはない考え方・動き方に興味を持つのだと思っています。ニヤカムさん、面白いです。



5授業の中のダンス
授業の一環としてダンスを教える現場にもいました。
私学、国立の中学校、高校の一部にはダンスを通年の授業で取り入れている学校もあります。体育祭のマスゲームやラジオ体操、マット運動などもあわせてですが様々なダンスを取り上げました。評価の関係もあり、目標設定はスポーツクラブ以上にはっきりと行わねばなりません。渡欧する前の6年近く(途中中断はあるものの)中高の現場でいろいろ試行錯誤を繰り返したことはとてもよい経験でしたが、今中高の教育からはなれているのは、ダンスを評価できるかというところでつまづいたからです。
5段階評価で評定をつけねばなりません。5を何人1を何人につけなければいけないという方式ではありませんでしたが、評価の平均値をいくつにしなければならないなど規定がいくつかありました。きれいに踊れる・踊れないではなく、授業での参加度合に重点をおいて決めていましたが、他の種目(例えば球技など)とあわせての評価になるため、その理由を明確に話せるわけでもなく、微妙だと当時から思っていました。
ダンスによい悪いはあるのかという疑問は、大学時代からずっと抱えていて、コンクールで文部大臣賞をもらうのはうれしいが、でもその基準って何だろうとひっかかっていました。(コンクールとその弊害についてはまた別に書かねばならないと思っています。)
何回かひっかかったり、つまづいたりしながらその学校の先生方と話し合いをしてきました。とても感謝しています。
私が教えていた学校には当時教え子だった子が大学を卒業して教員として戻ってきて教えています。(きのさん、年いくつ?といわれてしまいそうですね)

現在教えにいっている学校のうち一つは身体表現という枠の中美術とダンスを学ぶ授業です。様々なダンスをしながら、身体に関する文化の違いを感じるための授業で、評価も実技レベルではなく授業を受けたことから何を考えたかレポート(テスト)で論述してもらって出します。一般の学生さん(しかも男子学生多)なので、できるだけわかりやすく各踊りを説明、触れてもらい、興味を持ってもらうことを心がけています。ダンスを通じて文化について考えるのが大事なので、クラシックバレエから盆踊りまで幅広く扱います。

もう一つは幼稚園の先生になる学生向けの幼児体育という枠で鬼ごっこや手遊びなどからジェスチャーゲーム、絵本の表現遊びなどを展開します。遊びに目を向けた中から「こどもたちのうまれるとき」や「AMANOGAWA」は生まれました。ちょうど日本の昔ながらの遊びをニヤカムさんは「タカセの夢」に取り入れましたが、ほぼ同時期とてもいい経験となりました。今でも授業で静岡版はないちもんめの話しをします。


一応ダンスに関係した仕事についているようですが、自分がしていることとは全く異なるものを扱っているような気持ちは常にあります。でもそれもまた新しい出会いがあり、新しい学びの現場でもあるので(私にとっても)、なんとか続けています。ラッキーなことに。またいろんな人の助けと協力があってこそつづいています。しかし上記の身体表現のようなクラス展開は他できいたこともないですし、中高の年間を通じてのダンス授業も特殊事例だと思います。なので、一般的にはダンスを学校で教えるという仕事はまだまだ多くありません。


以上のような日本の現状と私の経験をふまえて前回の文章が書かれています。
また福原さんのように日本の事情をよく知る人はよくわかっていただけると思いますが、この10年くらいでダンスの状況は大分かわってきました。授業の必修化により、今後需要は増える可能性があります。
ダンスを専門に学ぶのがいいことなのかについてはこのような状況なので疑問があります。が、全く道がないわけではなく、いきのび、活躍している人もいます。あまりにも個々の資質によるところが大きく、それは教育の力ではないような気がしますが、そのシステムの網の目のこぼれおちたところあたりをもらって生き延びている感じな私としては「あり得ない!」ことではないということしかいえません。
ダンス教育を学校で受けなかったとしても、様々なかたちで生き延びる方法はあります。もしかしたらダンス馬鹿になるよりも、全く異なる専門をもっていた方が生き延びやすいかもしれません。知り合いの振付家さんは衣装制作で生計をたてていたし、その発想が作品を豊かにしていたりもします。
ダンスを突き詰めつつ、柔軟性をもってきりひらいていくことができるようになりたいと思います。
一方で渡欧前に教えていた学生さんたちが生きていけるような環境作りをしていくことが先に生きてしまった人(先生)としての義務かなあと感じはじめました。現在イスラエルにいる教え子が、前に帰ってきたときにそろそろ帰ろうかなあとか迷うんですと話していたり。「帰る帰らないはどっちでも大丈夫だよ、いざとなったらいつでもかえって来れるよ、生きていけるよ」とみせれるようになりたいとは思います。その上ですきな場所を選べばいい。私の場合生きていけるよ基準値が恐ろしく低い可能性もありますが。



あまりに長くなってきて疲れてきました。
韓国ダンス教育の話し、コンクールの話しはまた別に書かねばいけませんね。





















2 件のコメント:

  1. たくさんの人に読んでもらいたいブログです。とても勉強になりました、ありがとうございます。「システムの網の目のこぼれおちた」からこそダンサーとして生きていける、のかもしれません、かく言う私もそんなダンサーのひとりです。

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  2. 福原さん
    ありがとうございます。
    たまたまとはいえ、学校の中のダンスってあんまり知られていないなあと。でもこれからだんだんアーティストが学校教育の中に入っていくようになるのではないかという気はしています。ダンス必修化も、文化省のアーティスト派遣にしても。
    私の経験もまた一例でしかなく、いろんな人のいろんな切り開き方があります。本当にバラバラなので、「こうすれば」ということがいえず、教員をしていた当時も迷い続けていました。今もですね。
    いろんな人に出会い、自分で道をつくっていく。当たり前のことですが難しいです。
    網の目からこぼれたからこそ生きていけるし、つづいている。つづけているともいえるのではないかと。つづいているのがいいことなのか、どうなのか、時々疑問に思ったりもします。
    また帰ってくるときにはご連絡くださいねー

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