2010年5月12日水曜日

ドラマについて

ここ数日の間に杉田のケアプラザで講習を受けたりしていて、それはそれで書いた方がいいし、書くべきなのはわかっているけれど、ちょっと急ぎで今日話したことを書きます。
ここのところ私の思考は韓国用の「なにか」をどうしたらいいかで迷っていて、かなり行き詰まっておりました。で、たまたま話したアシュフォードさん(スカイプ)と、ソロ作品におけるドラマ性について話したのでそのことを。時間もないので覚え書き程度に。

ダンスが総合芸術であり、舞台芸術であるだけに、観客はある種のドラマを必要とする。(これはしずかさんもいっていた)
ソロ作品の場合一人なので、そのままではドラマは発生しない。1つのものが離れかける/2つに分かれているとなったときにこのあとどうするのか?という意味でドラマが生まれる。
どうしたら発生するか。
①自分と観客の間にドラマを作る
②自分の内部を2分割(あるいはもっと)する
③何らかのオブジェクト/あるいは音楽家等をおくことによって他者を想定する。
④圧倒的孤独をつくりだす。

きの作品でいえば①は本来コメディアンなんかがはいるのだろうけれど、おそらく札幌ダンスが、②はIchI、あるいはThree cornered worldが。(IchIはデュオだけれど現実にはソロ作品であり、一人の人ををより明確にみせるためにデュオ化した)③は箱女、OVOなど渡欧前のほとんどの作品がはいる、④はEdgeの構造であり、トランスミッション(ラッセルワーク)のさいこソロである。

そう、ソロあまりにも作りすぎていて、たいがいのパターンは見えてきている。
そしてここにはいってきていない要素で、私が想定した方法が
⑤ここにはいない誰かをイメージし、しかしオブジェクトをおかないでみえるようにする
⑥神がかり系
⑤はトランスミッション8mm(ほんとはデュオだけれど、あうことのないソロ×2)、月に立つクローン(そういえば恵比寿ガーデンシネマにいかねばならない)までさかのぼるのかもしれない。
⑥はどうなんでしょうね。確実にありますが、私にできるとかそういうものではなさそうです。なっちゃうだけなのだろう。

今回の作品は③にあたっていて、2007年の作品から構造上変化していないということが見えてきた。逆戻りするというか。
ここで逆戻りで終わらせないためには、私の対象物について考える必要があり、なぜ離れなければならなかったのか(それは本当にはなれるということなのか?もしかしたらくっつく途中(つまり逆回転)なのではないか?そしてそれはどのように?)を追求しなければならない。

多くの作品で私は自己完結をしてきた。
自分の中で問い、自分で答えを出す。
今回作りながら何かに引っかかっていたのは
おそらくその作り方は今の私の感覚にはまらないせいだろう。
私の対称とはなにか。

何にそこまで引っかかっているのか、まだ時間がかかりそうだ。

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