2017年12月31日日曜日

このブログをご覧になる皆様へ

○鳥取夏至祭についてはこちら

○大学用HPを作りました。詳細はこちら

公演予定などは今後の公演予定をご覧ください。

○Dance Potlatch ダンスのおくりもの
DVDを販売しています。(驚きの500円)収益金は踊るキノコ基金にまとめられ今後の活動へと生かします。
くわしくはこちらをご覧下さい。
お問い合わせをいただくのですが、送料のほうがかかってしまうため、東京、神奈川の方はBankART studio NYKショップ(馬車道)もしくは綜合芸術茶房喫茶茶会記(四谷三丁目)にてお買い求めいただくようお願いしています。うちのお店でもおけるよという方いらっしゃいましたら、お知らせください。
なお、札幌圏はキノコチケット札幌、鳥取はキノコチケット鳥取で対応しております。
ご希望の方はキノコチケットkinokoticket@gmail.com(@を英数字に直してください)まで。




20th sentiment ( Sapporo Biennale pre-event) film : Katsura Ishida

Mobius鳥取編(Chicago Moving Company 2016)film: Yusuke Sasaki
Mobius東京編(Chicago Moving Company 2016)film: Yasunobu Nakagawa

このページはダンサー木野彩子の現在の活動をブログとして紹介しています。
プロフィールの詳細やこれまでの活動につきましてはおどりこさいこ(http://saikokino.blogspot.jp)をご覧下さい。

This page is Japanese dancer Saiko KINO 's blog. Sorry, this blog is Japanese.
If you need to more detail of Saiko's work, please check Dancer Saiko page(http://saikokino.blogspot.jp), and click the label.


2017年10月22日日曜日

高木東六講演会「鶴」@米子公会堂



10月21日@米子市公会堂(鳥取)高木東六の音楽レクチャーとともに。「鶴」

 島根大学藤井先生(高木東六研究者)のお誘いで鳥取出身の作曲家の作品をもとに鶴を踊りました。昨年わらべ館(鳥取市の童謡唱歌ミュージアム)の企画で韓国の人間国宝さんによる復曲に続くシリーズ第2弾。
この音楽は高木さんが朝鮮に行っていた時代にアリランや韓国舞踊を見て影響を受けて作ったものだとのこと。そのため前回は完全な韓国舞踊で。今回は現代舞踊で自由に作ってくださいと言われました。
鶴、歌詞は村山知義で、春夏秋冬と4曲あるうちの1曲で、春に生まれた鶴が父よ母よ兄よ妹よと呼び寄せいざや舞えというような歌詞なのですが最後の最後にこんな歌詞がある。
春はたけぬ、たけぬ春

たけるをどのように捉えるかで色々考えてしまいました。深まるか過ぎるか。
さらにたけぬ春は連体形なのでたけない春となり、捉え方によれば反語の形だよなあと。

呼び寄せているけれども兄や妹は来ていない、そして春はすぎて行こうとしているでもまだすぎていないと思うのだとすると解釈をしながら、ここで鶴の恩返しを思い出し、鶴の恩返し要素も振り込むという構成にしてみました。
ついでに言うと同僚が鶴と言われて思いついたクレーン(ちなみにクレーンの語源は鶴です)も動きに追加。
なかなかない、と思う。

鶴の恩返しに合わせて衣装を着物風にし、韓国舞踊の要素と日本舞踊の要素を足して「現代舞踊」風(コンテンポラリーではなく日本の古き良き(?)現代舞踊)にアレンジ。私は石井獏系ではないですが、まあ良しとしましょう。

アンコール用に水色のワルツも一曲。
しかし、バリバリクラシックの中に入っていく勇気って大変なものです。。。



音楽は楽譜があるのですが、ダンスは記譜法が確立されておらず、多くの踊りはその場から消えていきます。
それらを当時の証言をもとに史実に基づいてきっちり復元させていくというのも一つの大事な研究です。が、それと同時にそれらをヒントに今に繋いで新たな解釈を加えながらまとめていくのも創造性に溢れる楽しい作業ではないかと個人的には思います。
アーカイブ事業はダンス業界で今流行りですが、こんな形になったのか!と言いながら当時に想いをはせてみる。そうすることで歴史に埋もれていた作品が日の目に当たっていくのです。この考え方はダンスアーカイプ構想の影響だなあと思います。ダンスハ體育ナリもそんなところから考案されたのでした。
そんな時に今回の藤井先生のように研究者の言葉や視点があるのは心強いものです。
これまで私自身は自分で調べながら作品を作っているのですが、ちょっとかしこさが足りないので、ブレーンさんを呼べばいいのではないかと感じました。ブレーン募集。

最近、周りに鳥博士が増えて来ていて、これはやはり鳥捕りの踊りを作りなさいということではないかと感じます。今回はまず鳥側をやったので、鳥捕まえる人と合わせて一個になるような。
あと意外なところにキノコ博士を発見しました。鳥取に菌類研究所があるそうです。キノコノキカクによるキノサイコによるキノコ作品、キノコを食べる企画付き、キノコチケットでチケット取り扱い。いかがでしょうか。



今後の予定(2017.10/22)

○木野踊ります。

いろいろあり、久しぶりに声をかけてもらったこともあり、踊ります。現在のところは以下の予定。呼ばれればどこへでも。おどりこさいこ



11月4日高知美術館中庭(高知)「みみをすます」
 6月のイマイチパフォーマンスで取り上げた谷川俊太郎の詩でリベンジ。今回はMiyaさん(フルート、東京)、カタタチサトさん(ダンス、高松・高知)、浜田あゆみさん(朗読、高知)にご協力いただき、開館記念のお祭りの中、静かな時間を演出します。水辺に降り立つ鳥でしょうか。鶴?!

11月24、25日女子体育連盟全国大会(米子)
 なぜか鳥取で開催される全国大会。前任の佐分利先生が頑張っているので、お手伝いしています。踊りませんが、もう大変です。

12月3日ミニワークショップと小さなコンサート@ちいさなおうち(米子鳥取)
 tottoでもお世話になっている水田さんがやっているアートスペースの企画。米子出張が続きます。

12月9日わらべ館ワークショップ
10:30−11:30 わらべ館いべんとほーる
 夏至祭で行った即興ダンスと即興音楽ワークショップシリーズ復活させます。
これから少しずつ(できれば春くらいからは毎月くらいペース)で続けていけるといいなあと考えています。鳥取在住の音楽好きの皆さん、ぜひご協力を!


今年の大きな勝負は高知美術館中庭の水でしょうか。


○ダンスハ體育ナリ続編について
現在、来年2月に発表できるように頑張ろう計画が進んでいますが、昨年に引き続き鳥取大学地域学部の教養科目として「グローバル時代の社会と国家」で1時間担当し、お話させていただきました。今でも毎月のようにダン体ゼミ(プロデューサーとの対話)が進行していて、もはやダンスではないけれど、これはこれでまとめなければいけないなあと思っています。ちなみに前回の話題は盆踊りとパラパラの類似性について池袋ニュー盆踊りを参考に。まだまだ続いています。

昨年は明治期の運動会、体操の変遷をたどりながら、オリンピックまで話を膨らませて「体育」がスポーツへと変わりつつある流れを学びました。
今年は1940年になくなってしまった幻の東京オリンピック・万博・札幌オリンピック(すごいな、全部やろうとしていたんだ)にフォーカスを当てています。
というのも、ダンスハ體育ナリで出てきた謎の体操写真、ほとんどが1938年。オリンピックがなくなった年です。しかしその後、オリンピックは中止になっても競技場の造成は続き、体操の流行へと走ります。軍国主義とこの体操の乱立は実はつながっていて、集団で揃って行う体操こそが訓練でありました。
何万人もの人が一箇所に集い同じ体操を一糸乱れずに行う写真が大量に出てきます。また、皇国2600年奉祝祭の関連イベントとして数多くの競技会が開催されました。

昨年のプログラムノーツの言葉です。
ダンスもスポーツも社会に利用されつつ発展してきた。知らず知らずに影響を受けてしまうものだからこそ、知る必要がある。踊る上で大切なことは当事者として感じ、考えること。現代はそんなにファンタジーじゃないし、カッコつけてる場合じゃない。今、必要なことを考えるためのダンス。それを私は作りたいと思う。


今回はダンス関係者ではないため、大野さんのお話はありませんが、西洋的近代的身体を作り上げるために生まれた体操にフォーカスを当て、日本人の「揃った動き好き」について考える内容を目指します。
 そのうちまとめて第2弾、いきます。
鳥取在住者で興味のある方は木野までおしらせください。



2017年10月13日金曜日

始まりの祭り


10月7、8日始まりの祭り@妻木晩田遺跡(鳥取)
 夏至祭を見に来た大山チームより是非にとのお誘いが。先日アイヌ刺繍で盛り上がったついでにアイヌ踊りを調べてみようなどの話が出てました。

お祭り自体は大山ガガガ学校と妻木晩田遺跡の学芸員の協力のもとアイヌ文化を広げる活動をしているアシリレラさん、夏至祭やMobiusでもすっかりお世話になっているやぶくみこさんも集まって、ユーカラ(歌、踊りも一曲。アイヌ神謡集の「金のしずくふるふるまわりに」もあり、個人的にはちょっと嬉しかった)あり、カムイノミ(お祈り儀式)あり、ガムランワークショップあり、歌って踊って叩いちゃうなんでもありな会(私の中では夏至祭に続く弥生収穫祭@妻木晩田)もありの楽しい3日間でした。

カムイノミのせいか、雨と言われていたのに、晴れまくりで、私は真っ黒黒に焼けてしまい、黒い鶴(次の演目は鶴)になってちょっとしまった、、、と思っています。


超晴れまくりのこんな感じ。私が来ているのは弥生の服に似せて作った貫頭衣(手作り)
中心にいるのはこっちの大山研究所大下しほさん。
木野は太鼓やチャクチャスを持って皆さんをご案内するツアーガイドです。

 センターだけではなく主要な遺跡を学芸員の長尾さんが説明してくれます。(森の妖精のよう)ちなみにここは竪穴式住居、復元。下に同じような建物の跡があり、それを丁重に保護して埋めた上に立てています。
ここは村のはずれで、一軒だけ離れて立っているとのこと。その後ろはお墓。
お墓を守ったり、儀式をするための場所だったのではないか?とのこと。
また光が差し込んでいて、お墓側に窓が開いています。西窓です。(つまり春分、秋分の時に来いということです)
ジャンベや太鼓やいろんな鳴り物を持って演奏しまくり、光の中で踊りまくり。
竪穴式住居を出ると、この眺め。一番いいところにお墓があるのです。これらのお墓もその上に乗ることができます。で、ちょうどいいサイズの石の配置なので寝てみます。


 カサラファーム(奥大山にある農園)でアフリカンドラムやってるサイモンさんたちも合流、みんなで楽しく踊る日でした。

考古学はあくまで掘って見えてきたものから推測していくのだけれども、どんな暮らしだったのか、どんな踊りが踊られていたのかは想像です。祈りや鎮魂やそういう気持ちを持って踊る踊りは必ず人の心を打つのです。
こんな光景を思い浮かべていたと長尾さんと大下さんが涙をこぼし、私はこういうときのために踊ってきたのかもしれないと思ったのでした。




2017年9月14日木曜日

旅に出る10


ブクタパルのサランギ作り職人
カトマンドゥから40分程度だろうか、古都ブクタパルにいく。日本でいう京都のようなものと言われており、街全体が世界遺産。ネワール人が作り上げた彼らの文明の粋が集められている。カトマンドゥからは地元の人と同じバスに乗って見たもののちゃんと行き先を行ったのに聞き間違えられたらしく違うバスに乗ってしまって30分。途中から乗って来た親切なお姉さんが、あなたどこにいくの?と聞いてくれて間違いが判明、乗り換えかたを教えてくれたりする。(彼女はブクタパルから来て乗り換えたところだったのよと言いながら一回バスを降りて案内してくれた)しかもその時睡魔に襲われていて、ふと気付いたのがそのお姉さんの言葉掛けだったので、女神に見えたのはいうまでもない。
ブクタパルでは寺院の美しさはさることながら(カトマンドゥやパタンよりも地震の被害は少なく、またまちがゴミゴミしていないので観光という点でもおすすめです。(そのかわりチケット代が1500ルピー)
街中を歩いている途中でサランギというネパールの弦楽器を売っているおじさんに出会う。おじさんの一家はサランギ演奏をしている一家らしく、お父さんもお兄さんもおじさんもサランギを演奏しているそう。持って帰れないよといいながら、おじさんが聞かせてやるというので遠慮なく聞かせていただく。
おじさん曰くこれまで長く音楽家の地位は低かったという。今でもレストランなどに弾きに行ってもチップがもらえるかどうかで(でも観光客ツアーは大体食事代に含むと思うせいかくれないとちょっと怒っている。みなさんよろしくお願いします。)経済的にも地位的にも低く見られていると感じている。先進国では芸術全般特別な才能と思われるが日本でも趣味で個人がやっているんでしょと捉えられるという話をすると頷いてはいたが、後から調べてみると、カーストの壁がかなり大きいようだと思われた。
もちろん日本のダンス、音楽状況の厳しさはよくわかっているけれども、それ以上に世襲制、かつ隔離される存在の芸能民カースト。ネパールの彼らがいう厳しさは私の考えた大変さ以上のものがあるのではないかと感じた。
彼は普段サランギや様々なお面(観光客向けのもので正式な儀式に使われるものではない)を作り売ることで生計を立てている。彫るのが得意なのだ。でも美術品のように色々絵をくりぬいた作品サランギは音の響きが悪くあまり好きではないという。時々くる演奏仕事は喜びだけれど6時くらいから仕事が一切できなくなるのに給与保証がない(ほとんど収入にはならない)現状に苛立ちを覚えつつ、喜びだからとつづけてしまうのだという。日本の音楽も演奏するよとのこと(実際聞かせてもらった)。片言の日本語もこなしている。
大変だけれど、それでも自分は恵まれているという。地震後家を立て直すことすらできない人たちもいる。そんな中、自分はこうして店を復興し、新しくくる観光客に出会うことができるのだからと。
頑張れ、生きろと私は言いたくなる。たくましい。
私がかつて言われたように(いまも?)。


インドラジャトラ
 本来このお祭りを見に来たカトマンズ。あまりに濃すぎる日々ではあるが、ちゃんとお祭りにも顔を出す。中心地のダルバドールスクエアにいるクマリ(ネパールの生き神、女の子)が街中へ出ていく(日本でいう山車に乗せる)ほか、ライスワイン(白濁しているのでどぶろく的なものと思われる)を奪い合う男子対決とか、ぞうさん(日本でいう獅子舞の激しく、大きいやつ)の大暴走とかいろんな意味で喧騒とカオスのお祭り、しかも1週間続く。
踊りもある。この子達は古都ブクタパルからやって来たという。黒い子達はゴーストだそうで、顔が見えない(ちょっとザングルロを思い出す)。みんなと踊った後、その後さらに残って激しいデュエットを行う。アクロバティックな組み動きや伊勢太神楽を彷彿とするような肩の上に乗っかる技などを披露するため大人気になっていた。
 なお、ネパールはお祭りが本当に多く、毎月1週間くらいは仕事にならない状態が続く。お金ないだろうに、放蕩しちゃう。まだまだ謎の深まるネパールという国。


旅に出る9

火葬場で踊る
初日の早朝からチャンドラマンさん稽古場に巻き込まれ、しかしせっかくネパールに来たのだからとあちこち見学に出かける。世界遺産のあるパタンやバクタプルにも足を伸ばし(普通に現地の人と同じバスに乗っていく。)、それはそれで面白かったけれども、自分の中で一番大きかったのはやはり世界遺産である寺院に道を歩いていたら迷い込んでしまい、そこの名物とも言われる火葬シーンに出くわしてしまったことだと思う。
インドでもバラナシなど人の死の現場には出会うことはありうるが、それが観光として公開されているところに驚く。(実は隣のお猿さんがたくさんいる山から、お猿に導かれて迷って来たので入場料を払いそびれ、しかも火葬場火葬場という客引きを「そういうものは見せるものではないから」と断って逃げて来たのに出くわしてしまったという経緯がある)川の横の階段上の場所で3人の僧侶が祈りを捧げ、儀式をし、その対岸で燃やされる誰だかわからないけれど偉い人らしい人を見守る。階段には数多くの観光客。さらに川の橋や対岸などから覗く多くの人々。家族や僧侶が静かに祈る中、観光客たちは写真を撮り、関係ない話をしているその状況。
隣にいたネパール人のおじさん(60歳くらいだろうか)が写真や映像(しかもそのままライブ配信していたりする)を取っている外国人の様を見て「お前どこの国だ、写真とか撮るのはだめだ」と言い始める。私は「日本人だけれども、こういうのは大事な儀式だから撮らないんだ」(でも実は音を録音していたりする)と答える。そうしたらおじさんはよくわかっていると思ったのか、「何をしているんだ」と聞いて来たので「実はダンサーでインドラジャトラを見に来たんだ」と言ったら、そうか、ダンサーかと頷いて、「今から踊るからついてこい、俺の踊りを見せてやる」という。???と思いながらついていくとみるみるうちに川のすぐのところの少し広くなっている場所へ行き(僧侶たちより段は下がるもののすぐ目の前)、踊りはじめた。「そこでみてろ」という。お祈りがなんだか歌のようで、伴奏的なものもあり、子供達も何人か出て来ていたので、ああ、これは踊りなさいということだと思い、火葬されている誰だか知らないちょっとえらい人のために、おじさんの動きを少しずつ真似しながら踊ることにする。1曲多分5分とかそれくらいだと思うが、踊りきり、戻ってきたら横で見ていたお兄ちゃんに、良かった、すごかった、映像に撮ったとか言われる。伊達にダンサーだったわけではないよと話し笑う。(映像はそのうちyoutubeとかに流れるのかもしれないが、とりあえず連絡先とかも交換していないのでどうなっているかわからない)おじさんはもちろん普通のおじさんで、すごい動きができるというタイプではない。でもそういう人が踊りはじめてしまうような空間、さらに観客も皆が手拍子をし、みんなで歌うそんなお葬式。ちょっと素敵だ。
観光化には疑問が残るけれども、死をもそのように皆でシェアして受け入れていくのがネパール流ということなのかもしれない。明るいお葬式。
なお踊りがあったのはその1曲だけで(それ以外は手を叩いたりはするがそこまで)そのタイミングで私がダンサーだと言ったから起こった小さな奇跡。ダンスの根源は祈りと鎮魂。誰だかわからないその人が道に迷わず逝くことができますように。


おじさんには非常に気に入られ、ぜひうちでご飯食べてけとか片言の英語で誘われる。興味深くもあったが、何せ1日目であたりは真っ暗になってしまい、かなりまずいと思いお別れし、道に迷いながら宿にたどり着く。

旅に出る8

チャリアダンス
1日目、朝から街中を歩いてみた。まず自分のいる場所を知るために私はひたすら歩く。歩く速度は車や自転車と違い、人に出会うことができる(時々うざったいこともある)。その代わりすぐ道に迷うので結構危険。その日は朝6時過ぎから音の収集をしながら街の広場へ向かって行った。広場でガイドのおじさんに捕まる。英語で返しても日本語を話し続ける、そしてしつこい。何をしているんだと聞くのでダンサーだと答えたら、それはチャリヤダンスをやるべきだという。マスターを知っているから行ってみようという。朝7時なのに。(一歩間違えるとただの迷惑だと思う)当然マスターさんはいなくて9時ごろに勝手に出直すことにする。
チャリヤダンスとはネワール仏教の思想に基づいた動く瞑想ともいうべきダンスで、日本では岡本有子さんという方が紹介している。そういえば前に一度須藤先生のところでお話を聞いたことを思い出し、彼女は移住してNYをベースに活動するグルを招いていたけれど、ネワールの実態はどうなのだろうと思い、伺ってみることにした。
チャンドラマンさんは30年以上チャリアダンスを続け、かつては様々な賞を受賞していたらしいけれども最近は腰を痛め、指導を中心にしている。チャリアの思想を広めるため本を書き、ダサイン(10月ごろある大きなお祭り)の時には220人ほどの人にチャリアダンスを指導し、披露していたりする。彼曰くチャリアダンスのインスティテュートがほとんどないのだそう。
と、いうのもそもそもチャリアダンスは儀式(儀礼)のためのダンスであって、人に見せたり、習い事で覚えるようなものではなく、システマティックな方法論というのもなかったものだからで、当然ネパールの人々もあまり知らない。(稽古場には様々な新聞記事で紹介されている切り抜きがあるけれども、あくまでマイナーなものの様子)稽古場も6畳一間くらいの狭さだ。カトマンドゥにもダンスクラスはあるけれども多くはエアロビクスやストリートダンスなど様々なダンスを扱っていてチャリアダンス一筋のところはないのだという。
そういうわけでこんな突然やって来た謎の踊子を受け入れることからして本来のチャリアダンスの形ではあり得ないことだが、それよりももっと多くの人に知ってもらいたいというチャンドラマンさんの意識が強い。「将来は正規のアカデミーを作るのが夢だ、そうしたら自分がいなくなってもちゃんとこのダンスが残るでしょう?自分がもらったものをちゃんと伝えたいんだ」と語るあたりがニヤカムさんに似ている。
怪しげな気もしながらも、毎朝7時から稽古を受けることになり、普通は6ヶ月かけるんだよとか言われながら超速習型でどんなことをしているのか教えてもらうことになる。朝から毎日だいたい1時間稽古して、チャンドラマンさんが来てちょっとお茶をして2時間くらいならってという形でガチガチではなくかなりゆるい感じだけれど稽古に参加させていただく。アシスタントとして入っていること、ヨガのマスターだという先生(わかる人にはわかるけれども内藤さんに似ていて、ネパールの内藤さんと思うことにする)と先生の娘さんの4人で毎日顔を合わせつつ、基本ステップから学んでいく。
そう、オリッシーダンスと同様に型があり、20あるというベーシックステップのうち18と16個の基本形を含んでいるダンス、始まりと終わりに必ずするダンスを教えていただく。インド舞踊の形に似ていなくもない。でも体の動かし方の概念が真逆に近い。


余談だが、チャンドラマンさんは1998年に日本に来たことがあるらしく(トヨタがスポンサーだったとも)、東京と京都で公演をし2ヶ月ほど滞在したとのこと。そんなこともあり、このポッとやって来た変わり者日本人を受け入れてくれたのかもしれない。また日本に来たいそうで、何かできたらいいなとも思う。(ホームステイで滞在できればどこでも行くと話しているので、受け入れできそうなところがいくつかあればできるのかもとも。ご興味のある方お知らせください)